不登校の君へ

私も中学生の頃、不登校でした。不登校と入っても様々なんだと思いますが、私の場合は中1で4日ほど、中2で60日ほど、中3で15日ほど、学校に行きませんでした。理由は特になく、朝になるとだるいのか何なのか、学校に行かず昼はテレビやゲーム、YouTubeをみて過ごしていました。
これくらいじゃ不登校とは言わないとか意見もあると思いますがそんなのはどうでもいいので私の考えを書きたいと思います。

始まりは風邪とか骨折などの怪我とか、一般的な休みから、中学生ですから「昨日なんで休んだの?」とか聞かれたくないなどの理由で休み始めたのかもしれません。そりゃあ休めば休み明けが来るわけですから、その連続が不登校になってしまうのが大半の例だと思います。

両親や祖父母は私が昔から優秀な子だったため、かなり言われたことや、困らせてしまったことを覚えています。祖父母にまで言われるとなんだか心にズシッときてました。もういっそ関わらないでくれと思っていた気がします。まあ、今思うと心配するのが親で、その優しさだったんだと思っています。

そんな私でも中学3年生の冬、1月ごろから、一日も学校を休むことはなくなりました。彼女が出来たんです。初めての彼女で毎日必死に生きていた思い出があります。

そんなこんなで、私は学力の方は普通以上ではあったのでなんとか実業系の高校に第三希望の学科で入学することが出来ました。両親もホッとしていました。

高校入学時、私は「高校三年間皆勤賞」を目標に掲げました。そしてなんと、不登校だった自分が「高校三年間皆勤賞」を達成しました。それは他の人にとってはそんなに大したことではなく、卒業時には両親も祖父母もそんなに褒めてはくれませんでした。でも私自身は誇りであり、最高の高校生活をおくれたと思っています。

「人は変われる」とか「やればできる」とかそんなことを思うのかと思っていましたが私自身何も変わっていないし何かを必死に努力したわけでもありません。

ただ、人生を謳歌しました。中学3年生の頃、彼女に出会い、色々なことを二人で乗り越え、部活動を心から楽しみ練習し、明日が楽しみと思いながら布団に入る、そんな三年間を過ごしました。

不登校のころ自分になかったのはもっと人生を楽しむこと。自分の周りにいなかったのは本当の意味で自分を理解し肯定してくれる存在でした。中学3年生の時の彼女は今でも付き合っている最高のパートナーです。大切な存在です。

今、私はIT業界に転職してチャレンジしているところです。今までの人生力で、思い出で、このとてつもなく広い業界にチャレンジします。負ける気がしません。

不登校の君へ私が贈れることは、

世界ってのはとんでもなく広く、君がいるのはまだ学校というものすごく小さな世界だということ。人間ってのは色々色々なやつがいて、死ぬほど意地悪のやつもいれば、死ぬほど優しいやつもいて、絶対に自分を理解してくれる最高のパートナーがどこかに居るということ。人生ってのは長いようで短いようで長く、今がだめでも過去がだめでもそんなのは全く関係なく、明日から、今から、何にだってチャレンジできる最高の時間だということ。

私は悔しい思いや楽しい思い、苦しい時期や絶好調の時期、たっくさん過ごしてきたけどまだ21歳です。
私はまだまだ人生を謳歌します。最高の人生をもっともっと最高なものに描きあげます。

最高の人生を、え、が、けーーーーー!!!!!!


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